葬儀の方法を考える前に、切実な問題はたくさんある

gf1420047502_Rエンディングノートは何のため?


 近年、「終活」という言葉がマスコミをにぎわせており、新語・流行語大賞の候補にもノミネートされたのは記憶に新しいところ です。

 
「終活」とは、就活や婚活などの言葉の使い方から考えれば、人生の終わりのための活動という意味であると考えられます。
 
そして、終活の内容としては、例えば葬儀の内容や方法、来賓の方々を決めたり、埋葬や粉骨の仕方を事前に決めておく、終末医療に対する希望を書き留めておく、自分史をまとめてみるなど、どちらかというと自分らしい最期の生き方を考えることを中心に議論されているようです。

 そして、それらを「エンディングノートなどに書き留めておきましょう」ということですが、果たしてそれは、何のために行われているのでしょうか。

 
私は、終活そのものを否定したり軽んじたりするわけではありませんが、終活はどちらかというと自分の生き方に関する問題を中心に考えられているような感 じがします。
 つまり、遺言を作成する目的である、誰にどのような財産を残したいのか、ということがエンディングノートの目的ではない考えられます。

エンディングノートに法的効果はありません


 そして、遺言と決定的に異なるのは、エンディングノートには遺言のような法的効果は全くないということであり、そのことを忘れないでいただきたいと思います。

 
時折、エンディングノートを書いて満足感や達成感に浸っている方を見かけますが、エンディングノートを推奨している先生方は、本来、法的効果のある遺言を書くことがずっと大事なのに、その前にエンディングノートで満足したり疲れてしまっている方々に対してどういう責任をとるのでしょうか。

 
さらに言えば、仮に、エンディングノートに財産分けの希望が書かれていたら、問題はややこしくなります。

 エンディングノートには遺言のような法的効果はありませんから(たまたま、全文、日付及び氏名が自書されており、これに印が押されていれば自筆証書遺言と見ることもできるケースも考えられますが、そんなことはまずないでしょう)、エンディングノートの中で財産を取得するよう指定された相続人はエンディングノートを尊重すべきだと主張するでしょうし、他の相続人は、エンディングノートなど法的効果がないのだから全く白紙の状態で話し合うべきだ、と主張するでしょう。

 こうなると、話はいつまでも平行線のままになってしまいます。
  私は、そのような問題のある終活にエネルギーを費やすよりも、やらなければならないことがあるのではないかと考えるのです。

遺言を活用して財産、伝統を承継する


 それは、財産をどのように後世に引き継がせ、遺された相続人が争い事をすることなく平和に暮らすためには今何をしておくべきか、そして、考え方が古いと言われればそれまでですが、家であるとか先祖から承継した祭祀や伝統を守り、受け継いでいかせるために何をすべきかということを、具体的に表現していかなければならないのではないかと思うのです。

 
そして、それらを具体的に表現することができるのは遺言ではないかと思うのです。 エンディングノートを作るのであれば、遺言を作ってからでも遅くないと思いますが、いかがでしょうか。